実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 [DVD]
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とりあえず、海賊版で観るのは申し訳ない映画だった。

若松孝二は「実録」というだけに、予断や偏見を排して淡々と真実は何だったのだろうかという眼で前半は良かった。

連合赤軍については、同時代の人たちや左翼運動を担った人たちによって、その意味や同志殺害という凄惨な結末に至った原因が繰り返し問い直されてきている。

この映画を観て感じたのは、森恒夫と永田洋子という二人のリーダーの台詞が物足りなかったという点である。
彼らの台詞には説得力が無く、山岳ベースでの極限状態とはいえ、「総括」を求める彼らの言葉はどう見ても相手を論破し、沈黙させるにはあまりにも浅はかとしか言いようのないものだった。
フィクションを排除しようという意図のためにそうなったのかもしれないが、残念ながらそれが結局この映画でも「連合赤軍」が何だったのかが分からないという物足りなさ、曖昧さを残してしまったように思う。
でも、それは赤軍をずっと見つめてきた若松孝二が気がつかないはずはない。知った上でそうしているのだろうか?

「連合赤軍」を「総括」するのは、簡単なことではないし、多くの人がそれを試みながら未だにあれがなんだったのかは明確に説明することは出来ない。組織の問題、思想的な陥穽、戦略的誤謬等々、沢山の要因があるだろうが、この映画やいくつかの本を読んで思うのは、やはり森と永田という二人のリーダーの器というか、「リーダーとして」の資質・人格というのがもっとも大きな要因だったのではないかということである。

そうやって、二人の資質というようなところだけを強調することで矮小化されるとの考え方もあるが、実社会を見ていると政治党派に限らず企業でもどんな集団でもリーダーの器が集団に与える影響の大きさは非常に大きいと思う。
「総括」を要求する二人のリーダーが、もっとも自らの思想や理論(内容はともかく)を内在化していないという矛盾が、「連合赤軍」の悲劇の一番の原因なのだと思う。

二人のリーダーが「前段階蜂起論」や「毛沢東理論」という彼らの理論・思想から「総括」というものをどのようこじつけて導きだしたのかを見せて欲しかった。
もしかしたら、たいしたこじつけすらなかったというのが事実なのだろうか?

それから、映画ではほんの一瞬しかなかったが、塩見議長側近で途中から復帰し「総括」で殺害された山田孝が森恒夫をどう批判したのかももっと表現して欲しかった。
それは、森恒夫が逮捕拘留中に一人だけさっさと自殺してしまった理由を示唆するものではないかと思うからだ。

あとは、あさま山荘に立て籠もってから、最年少の加藤の台詞。 あれは本当なのか?本当だとしても、あれはないだろうと思う。

竜頭蛇尾という感じがした。

でも、映画がどうであれ「連合赤軍」という事実はとても重く、これを見ることでまた思い出し、どこかで考えることをやめていたものが吹き出てきてしまう。


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