2007年10月28日
『又蔵の火』
又蔵の火 (文春文庫)藤沢周平を読んだのは、これでおそらく二冊目です。
前に読んだのは確か「蝉しぐれ」だったような気がしますが、良く覚えていません。
先日、香港のトマトブックスで目当ての本が無かったので、時間つぶしにと買ったのがこの「又蔵の火」です。
じつは、この小説は20年以上前から、一度は読まなければと思っていたのですが、なかなか手に取る気にならなかった本です。
たぶん、この小説をこのような思いで読む人は、他にはいないと思います。
藤沢周平は、私と同郷で高校の同窓の先輩です。
映画化された小説も何本かあり、その作品の舞台となっている「海坂藩」というのが、藤沢の故郷である鶴岡=庄内藩ということは知っている人も多いと思います。
「又蔵の火」は藤沢が直木賞を受賞した年に発表された初期の作品です。
この小説の舞台は、架空の「海坂藩」ではなくて、実在した「庄内藩」の鶴ヶ岡(鶴岡)です。
そして、この仇討ちも藤沢の創作ではなくて実際にあった話です。
登場人物も、その名前も基本的には実在の人物です。
したがって、この小説の主人公の家系も今でも続いているわけで、それが私の家です。
もっとも、うちは本家ではなくて血縁も途切れているのですが、今でも又蔵(虎松)の墓守はうちがやっています。
先日、日本に戻った時に何年ぶりかで墓参りに行ってきました。
又蔵(虎松)と丑蔵の墓があり、仇討ちの現場となった総穏寺というお寺です。
昨今の藤沢周平ブームで、この寺を訪れる人も増えているらしく、仇討ちの現場・虎松の墓・丑蔵の墓などに目印となる表示が立てられており、「又蔵の火の」という注釈がついていました。
そんなわけで、私は藤沢が「又蔵の火」を発表する以前から、この仇討ちの話を祖母から何度も聞かされていました。
祖母は明治28年生まれでしたから、周りにはまだ江戸時代の武士だった人が生きているような環境に生まれました。
そして、祖母はとても話が上手くて、感情移入をしながら祖母の母やもっと上の人から聞いた江戸時代の話を、あたかもついこの間の話のようにして、子供だった私や弟に語っていました。
この仇討ちの話のほかにも、祖母のお祖父さんだか曾お祖父さんだかが、酒田の本間家が都合した千両箱を担いで持ち帰った時の話も覚えています。
城下に入る直前に、ちょうど今の家の数軒先の○○さんの角で賊に肩を後ろから切りつけられながらも、そのまま城下に入り家によって手当をしてからお城に届けたというような話を、さも見ていたかのように話していました。
残念ながら私は物覚えが悪く、特に子供の頃の記憶というのがあまり残っていないので、この話や仇討ちの話以外にも沢山聞いているはずですがあまり覚えていません。
仇討ちの話もディテールまでは良く覚えていません。
ただ、祖母は自分で話しをしながら感極まって涙を流したりということが往々にしてあったので、仇討ちの話の時も丑蔵も虎松もどっちも「めじょけね」(可哀想)といって涙を流すことがあったのを覚えています。
仇討ちの原因になった万次郎にも同情していたようでした。
この辺の記憶からすると、藤沢が描いた「又蔵」(虎松)の話は、祖母の話とダブります。
ところで、小説の中で万次郎の父の名前は久右衛門となっていますが、うちの家系は代々名前に「久」という字が付きます。
私が知っている本家の人も男の人は全て「久」の字がついています。
ところが、私の弟は「久」がつくのですが、長男である私には「久」の字がつかずに父の名前の一字がついています。
小説の中でも、登場人物の関係は一族といいながら血縁関係のない複雑な家系となっていますが、私の家も祖母は一生独身で子供が無く、私の父とは養子縁組だったため同じような状況です。
その中で、私の名前に「久」の字がつかないことは、祖母と父との確執が有ったのではないかと考えるに十分だったと思います。
その事に気がついたのは、中学生の頃でしたが、別にだからといってどうということも無かったのですが・・・。
そもそも、私は家系とかそういうことに全く興味がなかったために、長男ですがいわゆる「家」の事に関してはいまだに良くわかりません。
象徴的だったのは、祖母がなくなったときに地元の新聞への手配を私がやったのですが、本当は「養母」とすべきところを「義母」としてえらく怒られたこと。
私はその時まで、母が祖母の養女となり、そのあとで父が婿に入ったとばかり思っていました。
というのは、母は庄内藩の下級武士が明治維新後に入植した開墾地の生まれで、武家の関係の紹介で女学校に入る時に祖母のもとに来て卒業後もずっと祖母と暮らしていました。
戦後まもなくの頃のことで、母はその開墾地の集落から始めて女学校に進学したのだそうです。
今はもうほとんど無いですが、私が子供の頃の鶴岡という街には、武士の家の考え方とか、武家の付き合いとか、日常のなかにある藩政時代のなごりというものが、まだまだ色濃く残っていました。
この小説を読むとき、ここに書かれている以上にその場の雰囲気がわかってしまうのは、そういう環境にいたおかげだと思います。
そうであるが故に感じるところもまた有るのですが、それはまた今度のネタにしようと思います。
長くなってしまいましたが、そんなこんなで、この「又蔵の火」を読むというのは、私にとってはかなり思うところがあります。
最後に蛇足ですが、藤沢周平の作品で江戸時代の鶴岡を味わおうと思ったら、この「又蔵の火」が一番良いのではないかと思います。
小説に出てくる地名・通りなど全て実在のもので、実際に歩いてみても判りやすいと思います。









